リハビリカプセル第8回、北野監督編の5回めは『みんな〜やってるか!』(1995年)です。この映画が北野武監督作品であると同時にビートたけし作品でもあると宣伝することに、どれほどの意味があるんでしょうか。 人によってはビートたけしのコントをそのまま映画にしたからだ、と説明してくれるかも知れません。 でもそう指摘することにも、どれほどの意味があるのか不明です。 一方で、この作品が『監督・ばんざい!』とちょっと似ている、そう指摘することは可能でしょう。 短いエピソードをつなぎ、これもダメ、あれもダメと否定しながら、最終的に一つの物語に収束していく。 そうした語りの形式が二つの作品の共通点です。 それも「たまたま」そこに落ち着いたというだけのことで、特権的に選ばれた物語とは見えない。 そう、ちょうど北野映画の登場人物たちが「手近にあるもので間に合わせる」ように、まるで「そこに物語があった」かのごとく、なし崩し的に監督はその物語を手にとるんですね。 たとえばそれは、「金が欲しい」と主人公の朝男(ダンカン)が呟いたとき、車に乗って現れた瀕死のヤクザ(寺島進)が「預かってほしい」と拳銃を渡すのを、素直に受け取る彼の身振りそのものと言っていいのかも知れません。 ただしここにはちょっとした逆転があって、たとえばこれまでの北野映画の登場人物たちは、望んだわけではないのに「たまたま」ゴミ集積場に捨てられていたサーフボードを拾ったり、強姦された女を拾ったりするわけです。 が、この『みんな〜やってるか!』では、朝男が金を望むと「たまたま」ヤクザが拳銃や覚醒剤を持って現れたり、透明人間になりたいと望めば「透明人間推進協会」の博士(ビートたけし)が現れたりするんですね。 もっとも彼らの行動そのものにはどれほどの違いもありません。 違うのはただ、「たまたま」手にする前に、それを望んだかそうではないかということだけです。 監督が北野武であるか北野武・ビートたけしであるかの違いに、どれほどの意味があるかと問うたのはそういうことです。 ところでなぜカー・セックスなんでしょうか。 もしかするとそれは、「一緒に車に乗る」ということが大切なのかも知れません。 というのも朝男の妄想は、なぜか、車やジャンボジェット機、セスナ機の中でセックスすることだからです。 単純に女とセックスしたいということではないんですね。 そういえば朝男や某電気店の宮路社長の車には、殺到した人々が山のように溢れていました。 この「一緒に車に乗る」というのは、『3−4x 10月』や『あの夏、いちばん静かな海。』、『菊次郎の夏』でもテーマの一つとして現れていたものでもあります。 残念ながらこの映画では、朝男の願望が叶えられることはありませんでしたが。 「weekly? ぱんだnoきぐるみ」ご訪問ありがとうございます。 ●参加してみました(映画ブログランキング 映画評論・レビュー部門)。 ![]() ●「シネマのリハビリカプセル」とは… 劇場で観ることができなかった映画、とくに1990年代、僕の映画的空白期の作品を、DVD・ビデオ等でレビューします。 過去のレビュー一覧は左サイドバーの下部にあります。 |
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