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zoom RSS 歴史認識の方法 〜『キャロル』と『ブリッジ・オブ・スパイ』

<<   作成日時 : 2016/02/24 11:10   >>

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歴史認識の方法を、大ざっぱにふたつに大別してみましょうか。
ひとつは、時間の流れの中に視点が置かれる場合。
たとえば「現在の私たちから見ると…」というような前置きで語られる過去がこれにあたるでしょう。
もうひとつは、過去のある時点での社会そのものの中に視点が置かれ、時間軸が存在しない場合。
これはその当時生きていた人々が見ていた世界、そのありようそのままと言っていいでしょうか。

言語学の用語を借用して、前者は通時的(diachronique)、後者は共時的(synchronique)な視点と呼ぶことにします。
どちらが正しいのか、という問いは不要です。
たぶんどちらも正しくて、でも一方だけでは不十分だからです。
もし可能であるなら、かつてR・バルトが『零度のエクリチュール』なるものを想定したように、通時的視点と共時的視点が交わるところに「零度の視点」とでも呼ぶべきものを持つことができれば、それが「より正しい」のかもしれません。

で、誤解を恐れずざっくり言うと、スピルバーグ監督の『ブリッジ・オブ・スパイ』は通時的、トッド・ヘインズ監督の『キャロル』は共時的な視点で描かれた映画ということになります。

『ブリッジ・オブ・スパイ』はトム・ハンクス演じるジェームス・ドノバン弁護士という冷戦時代のヒーローの物語です。
通時的な歴史ドラマの大きな特徴は、こうした特定の事件や「歴史的」人物を、舞台となる時代の表象として扱うことにあります。
つまりはわかりやすいヒーローを作るということですが、それは映画の常套手段と言ってもいいでしょう。
1950年代の「冷戦」を語るとき、「ドノバン弁護士」と「スパイ交換」を題材に選んだ時点で、すでに通時的視点が入っている。
そうした歴史認識の方法は、僕たちの脳にとっては、より簡単な営みだとも言えます。

一方でトッド・ヘインズ監督の『キャロル』はどうか。
1952年に同時代を舞台にして書かれた小説が原作ですから、「そのまま」映画化すれば当然ながら共時的な視点で描かれることになります。
その「そのまま」という姿勢を保つことがなかなか難しいんですが、さすがに『エデンより彼方へ』や 『アイム・ノット・ゼア』の監督はそのあたりを心得ているように思えるんですね。
少しでも通時的な視点が入れば、「1952年」における「同性愛」のドラマには、「差別」や「抑圧」がきっと避けられないテーマになる。
でも彼は、原作を翻案するにあたり、そんな誘惑をほぼ完全に断ち切っているように見えます。
「差別」や「抑圧」の物語の彼岸に、無名のふたりの恋愛逃避行談として同性愛を描くこと。
それはパトリシア・ハイスミス女史の願望でもあったんでしょうけど、すでに当時、そのように語られうる土壌も醸成されつつあったのかもしれない。
そんな楽天的な歴史観が許されるのは、この映画が共時的な視点を採っているからこそ、とも言えます。

共時的な視点で捉えた過去の社会の平面を、ミルフィーユのように一枚一枚重ねていく、あるいは剥がしていく。
かつてM・フーコーは、自らのその困難な作業を「考古学的手法」と呼びました。
トッド・ヘインズ監督の映画は、もしかするとそんなミルフィーユの一枚なのかもしれません。
それは考古学的というより地層学的と呼ぶ方がふさわしい気もする。
こうした地層学的なヘインズ監督の映画は、現在の僕たちにはもの足りなく感じられるでしょうか?
でも『キャロル』を見たあと、もし「同性愛」に対する「差別」や「抑圧」、つまり「歴史性」が欠如していることに肩すかしされたと感じるなら、それこそヘインズ監督の戦略が功を奏したとも言えます。
というのは、その一瞬にこそ、僕たちの視線に通時的視点が立ち現れるからです。
そして現在と1952年との間のどこかに、横たわっているかもしれない断層の存在も。
はたしてその瞬間を、共時的視線と通時的視線が交わる「零度の視点」と呼ぶべきかどうか、は別の問題ですが。

スピルバーグ監督が今なお優れた作家のひとりであることは否定しません。
でも、たとえば「歴史問題」や「慰安婦問題」がなおこの社会の重しとして存在する今、僕たちにとっては、ヘインズ監督こそより貴重な作家だと言えるように思います。


蛇足。
『キャロル』は眼差しと手の映画でもあります。
映画はふたりの眼差しの交換から手袋を媒介して始まり、ふたりの眼差しが交わるところで終わる。
ふたりが再会したとき、別れ際にキャロルがテレーズの肩にそっと手を置きます。
あの手を自らの肩に感じながら、相手への恋心をを断ちきれる者は、男であれ女であれほとんどいないでしょう。
それが「同性愛」や「差別」を超えた瞬間であることは言うまでもありません。


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