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zoom RSS ゴダールの3D、イーストウッドの砂塵。

<<   作成日時 : 2015/03/25 22:07   >>

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前回、年末に更新した折に、もう一度このブログの方向性を考え直す、と書きました。
その方向性がはっきり決まったわけではないんですが、それでもその一歩として、過去のエントリーを消去することを考えています。
少なくとも「漫然と」「書き続け」られた「映画の『レビュー』」を放置しておく理由が見つからないからです。
これまでコメントやトラックバックを寄せていただいた方々には大変申し訳ありませんが、エントリーとともにそれらも消去されてしまうことをご容赦ください。
今月末、あるいは来月初めを目途にタイトルから「weekly?」の一語を外し、エントリーを消去する予定です。
…たぶん。


さて。
「この道しかない」と高らかに宣言して選挙に勝利したこの国の首相は、「この道」=何とも空虚で時代錯誤的な「美学」を実現するために日々まい進しているようです。
「この道しかない」。
「この道しかない」んだからもはや議論の必要はない、仲間うちですべて決定してよかろう、と。
確かに「この道しかない」と断言することは、判断停止するに等しいわけですから、意見の異なる者と論議する余地など見あたらないんでしょう。

ほら、道なんていくらでもあるじゃないか。
でも、たとえばゴダールの新作『さらば、愛の言葉よ』を見た僕たちなら、そう確信を持って言うことができる。
3D(three-dimensional)だからといって、映像が立体像を結ぶ必要なんてないんだよ。
考えてもみたまえ、そんな立体像だって、そもそもスクリーンという平面上に映された幻影に過ぎないんだ。
でもたとえ立体像を結ばなくたって3Dは3Dだし、映画は映画なのさ。

ほら、道なんていくらでもあるじゃないか。
イーストウッドの新作『アメリカンスナイパー』を見た僕たちもまた、そう確信を持って言うことができるでしょう。
主人公たちを襲った砂嵐が次第にあらゆる者の視界を奪い、やがてすべてが砂煙に包まれる。
ゴダールのあの「黒の画面」とどこか通じるものを感じながら、僕たちは「砂嵐の画面」の前で言葉を失う。
そこには「砂の色」以外何も映ってはいないように見えるかもしれない。
でもそれこそ実は「多くの道」の集合であり、それは無音のエンドロールと共鳴するわけです。

「ゴダールの3D」や「イーストウッドの砂嵐」は「この道」しか見ることができない者の「美学」とは対極、あるいはまったく異質のものと言っていい。
それは豊かな想像力そのものであり、具体的な何ものかであり、空虚な言葉で説明されることを拒むものだからです。
「この道」しか見ることができない者は、饒舌に言葉を重ねれば重ねるほど、その「美学」の貧困さ、空虚さを際立たせることを知らない。


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