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zoom RSS フランス映画史の水脈 〜『あの頃エッフェル塔の下で』(アルノー・デプレシャン監督)

<<   作成日時 : 2016/01/05 21:11   >>

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フランス映画に流れる大きな水脈のひとつがここにある。
僕(たち)はその水脈に魅せられた最後の世代なのかもしれません。
ジャン・ヴィゴ、コクトーからトリュフォー、ゴダール、、、
いわば『恐るべき子供たち』の流れでしょうか。
その水脈に、デプレシャン監督も名を連ねていることを、改めて確認させてくれるのが『あの頃エッフェル塔の下で』という作品でしょう。

『新学期・操行ゼロ』、『恐るべき子供たち』、『大人は判ってくれない』に始まるアントワーヌ・ドワネルシリーズ、『アデルの恋の物語』、あるいは『勝手にしやがれ』、『気狂いピエロ』、、、。
水脈が産み落とした豊かな作品群が、数えきれないほど、この映画とともに甦る。
もちろん、それは「引用」や「オマージュ」といった記号としてただそこにあるのではなく、デプレシャン監督の、そして僕(たち)の体験的記憶としてそこに生きているんですね。
そんな「映画史」のありように胸を熱くするなら、反面、《この国の今の首相が、「歴史問題」や「慰安婦問題」のほんとうの在り処や意味を理解することは決してない》だろうことも、容易に知れるわけです。

ともあれ、「父親にはなれないが友だちでもない」という言葉(『キングス&クイーン』)で表現されたデプレシャン作品の養子縁組のテーマはここでも生きている。
というよりも、この映画こそ、その始まりだったんじゃないか。
つまり、この映画が水源地であって、ここから『そして僕は恋をする』や『キングス&クイーン』や『エスター・カーン』や、すべてのデプレシャンの名作が産み落とされていった。
そのことは、《作品群が作られた時系列と、作品群が作る磁場の時間軸とが必ずしも一致しない》ことが、映画や小説の特性のひとつだということを、改めて教えてくれるんじゃないでしょうか。
デプレシャン監督が、「これはようやく出来上がった第1作のようなもの」と語っているのは、そんな意味でもあるように思います。

下から手を伸ばす母親を、階段の上に立って突き放すポールは、永遠に彼女との親子関係を拒否した「恐るべき子供」です。
だから、これまでのデプレシャン作品の主人公たちは、養子縁組を結ぶことにこだわり続けたんですね。
それがいわば自己再生の唯一の手段だった。
そのとき、彼らが階段やベンチに「並んで」座ることには、「歴史的」必然性があったわけです。


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あけましておめでとうございます。
昨年はほとんどアップできませんでしたが、今年は更新回数を増やせればと思っております。
今年もよろしくどうぞ。


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